和菓子のアン うまい! 表紙もいい 饅頭 カステラ 諸行無常の鐘の声
言いましたっけ?
有田川町ライブラリーALECには
貸し出しカウンターの前にテーブルがいくつかあって、
おすすめの本がたくさん見せびらかされているのです。
もちろんそこから取って読んでよし、
借りてよし。
本棚の前を歩いても、なかなかどれを読もうか決められないですよね。
でも、こうして並べてくれていると、本棚から引き抜くよりずっと気軽に中を見られます。
そのそばのシートに座って1冊読んでしまうことだってあります。
私が借りている本はたいがいそういうふうに出会ったもの。
今、半分くらいまできたのが、「和菓子のアン」。
著者は、坂木 司だそうです。もちろん知らない。男か女かもわからない…
後ろを見ると、生まれたのは1969年。これくらいなら許せる。
1980年代だと、自分の子どもと同じ年頃で、くやしい気持ちになります。いえ、子どもと比べているのではなく、
60年生きてきた自分が「身をたて名をあげ」ができていないのに、30年そこらの君たちが!というくやしさであります。
笑ってください。そんな気持ちになりません?
ともかく、「赤毛のアン」も好きでしたが、
この「和菓子のアン」、なかなかおもしろいです。
表紙の写真がこしだかの上品な薯蕷まんじゅうで、つい食べたくなります。
(この「じょうよ」という字、私は書けません。
変換して、すぐには出てこなかったので、「マイクロソフトめ、薯蕷まんじゅうぐらい入れとけ」とここに文句を書こうと思ったのですが、ありました!)
うちのあたりでは、日々の暮らしの中に、おぼろまんじゅうというのがありました。
薯蕷まんじゅうによく似ていましたが、大きくて平たくて、そう平べったいのです。
あれは大きく見せるため?
お祝い事には赤白、不祝儀には黄色と白だったか、よく使われていました。
今はもう地元の饅頭屋さんでも作らないのでしょうか。
注文したら作ってくれるかな。
上の薄い皮をむいてあったか、むいたらボロボロっとした感じになりますよね、
むいたのも見ていた気がしますが、
むいてないのも見たような…
はるかな記憶です。
最近はお使い物にしないのでしょうか。
なつかしい…
ところで、「和菓子のアン」は太めの高卒女子がデパ地下の和菓子屋でアルバイトする話です。
まだ半分だけど飽きません。
なぜ、半分か、本は夜、ふとんの中でと決めているからです。
昼間読みだしたらとめどなく読んでしまって、
他に何もしなくなる…
おぼろまんじゅう、ちゃんとネットで見つかりました。この辺だけじゃなかったんですね。
おお、皮をむいたのも、むかないのもある…
むくのが本来だったようです。
うちのあたりのに近いのがこれ。
皮をむいていません。
(鳴門 御菓子処ことらやさんの画像をお借りいたしました)
この辺のは、字の大きさがまんじゅうに比べてもう少し小さかったです。
貴重な歴史!の画像、ありがとうございました。
こういうのをたくさんお菓子屋さんに注文して買ったんでしょうね。
空き箱に詰めるのを手伝わされたことを覚えています。
空き箱は、砂糖の箱でした。
紙の箱で、あいた口には紙のレースみたいなのがついていて。
昔は砂糖が贈り物になっていて、それが上げ底の紙箱で、それを捨てずにためてあったんでしょう。
その上げ底の部分は切り取って、深くして、紅白のまんじゅうを斜めに重ねながら詰めました。
年の離れた弟たちがいたので、彼らが生まれた時の内祝い(出産祝いのお返し)だったんでしょう。
カステラもああいう箱に入ってきたかも… 高いのは木の箱だったでしょうが。
でも、銀装が出現して、取り出しやすく、日持ちがして、既に切ってあるなんて、
お客さんにも出しやすく、自分たちも食べやすくなってあれって革命的でした!
ほんと世の中の移り変わりは目覚ましくて、ますます浦島花子の心境になります。
うちの父母、レジの袋とか、送って来たものの空き箱とか、信じられないくらいためてありました。
砂糖の箱みたいに、ためておかないと困るという経験があったから、捨てられなかったのかもしれません。
今は箱だって手軽に拾ってこられます。というか、買って来たまんじゅうを自分で詰めたりしません。捨てなくちゃ!
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