母と叔母に腹を立てながら本日も10kg捨てる
今日は金曜日、燃えるゴミの回収の日です。
階段の踊り場にあったミカン箱とその上の箱、捨てられるものなら捨てようと中を見ました。上の箱はおもちゃの空き箱と列車のおもちゃ。空き箱はゴミの袋へ。なんでとっとく!とここで私の怒りにかすかな火がつきます。
下のミカン箱、これで私の怒りはボーボーと燃え盛りました。これは母の妹が送って来たものです。この叔母は私の大好きなおばでした。考え方がリベラルで、母や他のおばたちとは少し違っていたのです。
でも、おばも年を取って、普通の老人になりました。残念ながら、昔ほど柔軟ではなくなったのです。人は年を取ると変わるのね、と私に教えてくれました。
このおばは数年前に亡くなりましたが、前から母に自分のところでいらなくなったものを送ってきていました。このミカン箱はその最後のほうの箱なのでしょう。
中はクリーニング屋に出してきれいに畳まれてビニール袋に入ったままの衣類。このクリーニング屋さん、ご丁寧に、紙まではさんであります。たぶんなくなった叔父の服なのでしょう。
しかし、いったい誰が使うつもりだったのですか、と天に向かって聞いてみます。うちの父はでかかったのです。要するに自分が捨てるのは忍びないから送って来たんでしょ、叔母さん。
そして、私はビニール破って、分別して、お金出して買ったゴミ袋に詰めて捨てるんですよ(いえ、実はゴミ袋代は考えてませんでした)。しかし、おばさん、クリーニング代もったいなくなかったんですか? 私にはできない行動です。
いえ、私にはこれだけ大量の衣類はありません。
母の衣類もむちゃくちゃ多いです。私の10倍以上じゃないでしょうか。たとえ、自分で買わずに叔母に押し付けられたものがあったとしても、多いです。
私の授業参観とかあるたびに、母は新しい服を買ってました。そして、もちろん、古いのを捨てません。まだ穴が開いてない、擦り切れてないと思ったのでしょうが、それなら古いの着んかい。外出着が擦り切れるはずはありません。
畳の上に置いてあった衣類の袋は、毎回のゴミ捨てのおかげで減ってきましたが、あれ、なんと呼びましたか、一時期流行ったビニールでできた服の収納、あれのファスナーを開けたらあの中ももちろんいっぱい。あれがふたつあります。ゾー!!
いくら80年以上生きていても、それは服の多さを正当化する理由にはなりません! お母さん、あなたの娘のほうがよっぽどましに生きてます。少なくとも残すゴミは少ない!
叔母のミカン箱、とどめは底に入っていた大量の湿布薬です。これを見て、私の脳の血管がまだ無事だというのは幸いです。叔母は自分がもらったのか叔父がもらったのか、そういう湿布薬を集めて母に送っていました。
母はもちろん、そういう湿布薬が好きで、貼るカイロも好きでしたけど。でも、その母でさえ、使わないでおいてるぞ、おばさん!
多過ぎたんです。何のために送って来たんや? ちょっと反省してくれーと天に向かって叫びましょうか?
これって、まったく国民の税金の無駄なんです。医療費は9割ぐらい保険で負担していたに違いありませんから。
ネガティブな話ばかり書きました。最後にひとつ、明るい話題を。私は母を湿布薬から離乳?させることに成功しました。今いる施設でまた悪癖が戻っていない限り、国保から感謝状をいただいてもいいかも。
この成功の陰には、お世話になっていた鍼灸師のかたが、急性の炎症でなければ湿布貼らないほうがいいと母に言ってくださったことがあります。
しばらくすると、母は湿布薬のことを忘れました。欲しいと言わなくなりました。
もし、家族に湿布薬中毒のご老人がおられたら、上手に話をもっていけば直るかもしれません。
そうすれば、みんなの保険料が無駄になるのが防げるのです。そんなこと知ったことかって? だって、もったいないじゃないですか。おまけにそれが子や孫の負担になるのですぞ。
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