長く住んでいるとシンプルライフがぼやける
ここに住んでもう3年以上たちました。
もうすぐ3年ね、と思っていたのに、実は既に3年を過ぎていた! びっくり!
年を取ると、時間が早くたつと、どこかで、聞いたか読んだか。
分子が同じ1年でも、分母がだんだん大きくなるので、1年が短くなるんだそうです。つまり、末の息子の1年は1/21の長さだけれど、私のは1/63です。
ずいぶん違うもんです。つまり、息子はのらりくらりしていてもいいけど、私は走らなければいけない、ということ?
そんなの損だ!と叫びたいですが、叫んでいる暇はありません。
春も来ることだし、初心に帰ろう!と脳を更新して、周りを見回しました。
いや、こりゃちょっと恥ずかしいわと、手始めに、庭のゴミを拾いました。ゴミ処理場へ持っていきます。既に車に積みました。いったい何キロあるやら。ワクワク。
この辺の市町村のゴミ処理場は「環境センター」という名前のようです。
持ち込んだゴミはどう処理しているのか、私がこれから運ぼうとしている「燃えないゴミ」はたぶんどこかに積んでおくのでしょうから、あんまり地球環境にプラスにはならないでしょうが、少なくとも私の直近の環境にはプラス。
昔、両親がふたりでここにまだ暮らしていた頃、年に1度くらいは子連れで来ていました。すると、あっちの汚れ、こっちの汚れが目について、せっせと掃除をするのが常でした。
母も喜んでくれました。うちの母は掃除が好きではなく(伝わります? 母を非難する私の心…… 心の狭さが透けちゃいます)、父は家事をほどんどしませんでしたが、掃除機をかけるのは父でした。
(機械が好きな父だったので、掃除機!をさわるのが好きだっただけかもしれません)
ところが、ここに自分が住み着くようになると、掃除をする気がだんだんしぼみ…… 母の娘ですから、もともと掃除好きではない上に、見慣れた風景になってしまったのです。
新鮮な目というのは大事です。
どうやって新鮮さを保つか? このままじゃ母と同じになる!という母への対抗意識をかきたてるのがいちばんでしょうか?
ああいうふうに老いていきたいのか?
昨日、母がお世話になっているグループホームで見た、あの母の姿を思い浮かべて、この環境をシンプルにする原動力にします!!
(なんちゅう娘や!と思ってます?)
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