シンプルにしてはいけないものもある、たとえば家族

うちは子どもが5人だから、うちの家族の数は最高7人。いちばん下が22年前に生まれて、いちばん上が巣立つまでいったい何年間、7人だったのだろうと考えました。


 

答えはたった6年ほど。うーんそうだったのか、であります。私はいろんなことを待たずにやりたい性格で、ひとところにじっとしていません。だから、その6年ほどの終わりのほうは、まず、私が末っ子を連れて韓国に留学しました。そのあともしばらく日本にいました。

その時、「大学は出たけれど」で仕事が見つからずに家のPCの前に座っていたいちばん上を日本の専門学校に行かせることにしました。日本はオーストラリアより人口が多いからでしょう、仕事もずっとたくさんあります。そして、専門学校なら仕事をあっせんしてくれるに違いないと考えたのです。その目論見は功を奏し、無事就職できましたが、いちばん上は日本に取られてしまいました!

私の夢はイースター(復活祭)とかクリスマスに、他のオーストラリアの家族みたいに離れて暮らす子どもたちが集まって、みんなで一緒にお昼を食べることだったのです。そのために子どもを5人産んだ!というわけでもありませんけど。

オーストラリアの人は、住むのはいわゆる核家族ですが、家族とか親戚とか、もしかしたら日本以上に関係を保っているかもしれません。嫁姑ネタというのもよくあります。あっちじゃしゅうとめはMother-in-lawっていうんですが。妻の立場からのも、夫の立場からのも、よく話(笑い話が多いでしょうか)のタネにします。

 

うちの家族の変遷に戻りますと、いちばん上が抜けたあとの家に私は末っ子と戻り、またまた学校に行って就職。そうすると、仕事して帰ってくると、ご飯は炊けている。これだけはわが夫、ちゃんとできました。洗濯だってできました。しかし、おかずがない! 夫は土曜日以外家にいる生活。そりゃないんちゃうかということで、私、残ってた子ども、3人連れてとんずらかりました。あれ、あとひとりの子どもはどこへ消えた? たぶんその時、3人目はもう鉱山!(オーストラリアにはあるんです。まだたくさん)に就職して、ひとり住まいだったんですね。

いやー、ほんとにすっきりしました。いやなことは我慢しちゃいけません。どこかでひずみが出ます。上を見上げたら空はちゃんと青いんです。(オーストラリアの空はほんと青いです。移住した30年前など、日本と違いくっきりでした)

はじめは近くのタウンハウス(要するに長屋です)を借りて4人で住んでいましたが、そのうち、現在の「わが家」に引越しました。ところが、私が3年前、ひょんなことから日本の実家に戻り、4番目も今、日本にいて、「わが家」は娘と息子ひとりずつのふたりだけになっています。でも、もうひとりの娘が近くに暮らしているので、一応、私の夢の、家族が集まって食事は部分的に実現しています。私が参加できるのは、今のところ年に1回ですが。

2年後にはブリスベンに戻るつもりです。そのとき、わが家が空になっていないこと、あるいはわが家が売られてしまっていないことを祈ります。この家は3人目がローンを払って、私たちが3人目から借りているのです。

書いていて思い出しました。私、4年くらい前に5年半勤めた会社をやめて、グラッドストーンというところに(ブリスベンの北のほうです)数カ月、それからソロモン諸島のホニアラに9か月住んでいました。だから、あの家にもずっといたわけではなかった……

二日三日で転々としたのではありませんが、ほんとおもしろい? 今、ここで、ひとり。おかげさまでインターネットがあるので、スカイプで娘たちとまるでその場にいるようなメッセージのやりとりができます。

ひとりがいいのか悪いのか、ヒトでなければたいがいの動物ははじめから決まっていて、迷うこともなかったのでしょうが。


 

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