喪中はがきの効用
朝、新聞を取りに行ったら、喪中はがきが入っていました。昨日、郵便受けをのぞいたのですが、気づかなかったのでしょう。
ここに住むのは私ひとり。郵便受けを見に行くときは、「来ない郵便を心待ちにしているというような図」を世間様に見られたくないという気持ちが常に働くので、そそくさとしか見ないのです。
これは母の姉の喪中のお知らせ。添え書きがあって、遊びに来てねとあり、うちの母の安否を尋ねてくれています。
伯母の息子、つまり私の従兄の奥さんです。彼女は偶然にも大学で同じ学年だった人、英語のクラスも同じでしたが、専攻が違ったので当時は交流はなかったのですが、母を連れて伯母の家に遊びに行って再会しました。
伯母がなくなったことは風の便りに聞いていました。
とっても気丈な伯母でした。だから嫁の立場の彼女はとっても大変だったと思います。私なら3日というか、3時間もちません!
この喪中はがきは今年2通目。もう1枚も伯母でした。こちらは風の便りにも聞いてなかったので、あら伯母さんなくなったのねとわかりました。
喪中はがきって、年賀状出すのを控えよという指令以外に、そういう役目もあるんだなあと思いました。
私はとっくに年賀状書きを断捨離してしまいましたけど。
実は今年は伯母が3人なくなりました。もうひとりは父の姉で、なくなったと、別の伯母の息子、つまり従兄が電話で教えてくれました。
この従兄とはたぶん子どものころ以来会ったこともなかった気がしますが、一瞬でワープしてお互い「〇〇ちゃん」でした。
父も母も成人したのは6人ずつの兄弟姉妹でしたが、とうとう、どちらもひとりずつになりました。母の方は母、父の方は電話をくれた従兄のお母さんです。
連絡をもらってどうするべきかと考えましたが、何もしないことにしました。最初の喪中はがきももらっただけで何もしてません。
世間様のならわしからいうと、何かするべきかもしれませんが、ここはオーストラリア帰りの変なやつ、ということでお許しいただくことにします。
日本では何かするとお返しが必要です。下手に動くと、母の時に向こうが動かなくちゃと思うかもしれません。双方のために「失礼しておく」ことにします。言いわけですけどね。
3人の伯母がなくなったことは母には言ってません。消息を聞かれたことがありますが、「さあーどうしてるんやろね」と、とぼけておきました。姉妹が消えて自分ひとりになったってあんまり知りたくないでしょ?
自己中で食欲旺盛の母のことだから、「なら私がみんなの分まで長生きする!」と思うかもしれませんが。
私の気持ちだと、それも困るんです。アハハ
子どもにこういう風に思われるようにならないように、人生最後まで役に立つ人間でいましょうね!
私は最後まで人を笑わせようと思っています。「あの人といると楽しいわ」って思われたら最高じゃないでしょうか?
5人の子どもが最後まで「母さん行かないで」と言ってくれるように生きる…
今は大丈夫なんですけどね。20年後にそういう状態であり続けることができるか? がんばりまーす!
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