オーストラリアの家の値段はずううっとバブル、いつはじけるのか?
私たち家族がオーストラリアに移住したのは30年前。
その頃、オーストラリアの家の値段はとても安かったです。
私たちは大阪の近郊に住んでいましたが、
その辺では新しい家を3000万円ぐらいで売っていました。
土地の面積はさて50坪あるかないかというところだったのではないでしょうか?
私たちは団地の分譲住宅をローンで返済中でした。
オーストラリアでは新しい家ではなく中古の取引が一般的です。
日本人は新しいものが好きですよね。
移住して、まず借家に落ち着きました。
ダンナより先に仕事を辞めていた私は7、5、3歳の子どもを連れて、一足先にオーストラリアに行きました。
たぶんレンタカーだけ予約していたと思います。
日本から。
いえ、もしかして、インターネットの普及していない30年前のこと、空港で借りたのかも…
でも、宿は決めていませんでした!
勇敢でしょ。
ブリスベンの空港から、ともかくブリスベンの街に向かって走り出しました。
国際免許は絶対用意していたと思います。
荷物は当座のものだけ。
こどもを3人レンタカーにのせて走り出しました。
その頃はカーナビなんてないし、
おまけに行き先は決まっていなかったのです。
ドンドン走って、ブリスベン川に突き当たりました。
今考えるとVulture Stを西に走ったのですね。どうやって空港からVulture Stに入ったのかさて。
そこにモーテルがあったので、そこに泊まりました。
今でも、そのモーテルあります。
その頃の日本ではモーテル=ラブホテルでしたが、オーストラリアでは違いました。
自動車旅行者用の宿です。
そこはWest Endという地区でした。
このWest Endという地区、ブリスベンで、歴史的に移民が最初に住み着く場所だったのです。
私はその時は知らなかったのですが。
彼らも空港とか港からどんどん走ってきてたどり着いたのでしょうか(笑)。
第二次大戦後にはイタリアから、その次はギリシアからたくさんきました。
八百屋さんになった人が多かったかも。
それからベトナム戦争のあとはベトナムから。
パン屋さんになった人が多かったかも。
みんなWest Endへ。
で、私たちも不思議な縁で、West Endへ。
それから、宿の人にも教えてもらったのでしょうか。
不動産屋に行って
借家を見つけ、
借家の隣で自動車修理場をやっていた家主が1974年製(だったと思います)のサニー(ダッツンDatsun)を売ってくれました。
そう、家主はギリシア人でした。
留学していたときよりは新しい車が増えていましたが、日本では考えられないぐらいの古い車がまだ走っていました。そして、中古車が安くなかった…
それから、子どものための学校を探して、保育所を探して…
そのうち、借家の近くで1988年のExpoが始まって…
何回か通いました。歩いて行けたのです。
3番目がコーンのてっぺんのアイスクリームを落としちゃったというエピソードもたぶんExpoの話。
そのあと、子どもたちの学校の近くの郊外に家を買いました。
76000ドルで買ったようです。もうちょっと高かったような気がしていましたが、
不動産業界のWebを見ると、それぞれの家がいくらで買われてきたかという数字が見えるようになっています。
なんと… 個人情報じゃないんですね(笑)。
私たちが買ったのは1987年ですが、1980年代の初めだと、10000ドルちょっとの値段で買われた家もあって、びっくりです。
まともな家1軒が100万円って考えられませんよね。いくら1980年でも。
その後、ブリスベンとゴールドコーストの間にある海沿いの沼地を宅地開発して、高級住宅地としてウソみたいな値段をつけたのが当たって、
家の値段はどんどん上昇。
今はブリスベンの私のあたりの家は平均50万ドルくらい。
今は1ドル80円ちょっとなので、4000万円くらいでしょうか。
760万円が4000万円になったわけです。
ね、バブルでしょ。
絶対はじけないとおかしいと何年も思ってきましたが、
まだはじけていません。
いくら価格が上がっても、住む場所は必要ですから、ちっとも得にならないです。
ふたつ買っておけばよかったんですけどね。アハハ
先週、娘ナンバー2が自分の家の近くで売りに出ている物件を見て、買いたい!と思ったので、
ちょっとした衝撃が家族の間に走りました。
私が娘ナンバー1と下ふたりと一緒に暮らしているはずの家は、彼女の所有で、彼女がローンを払っています。
彼女はこれを売ってその新しい家を買おうと考えたのです!
何しろ、住み家が私の持ち物ではなかったので、戦々恐々。
その新しい物件はブリスベンの街の真ん中から少し遠いのです。おまけに駐車場がない!(オーストラリアで信じられない家です。日本の田舎でもでしょうね)
ナンバー2は路上駐車すればいいと思ったようですが、そりゃまずい。
しかし、神様が助けてくれました。
その家のオーナーは、オーストラリアによくあるように、自分で改築したようですが、信じられない値段を提示したのです!
敷地面積404m2で、隣家との境界いっぱいに立っているその家の値段がなんと79.5千万ドル、日本円で6500万円くらい!
むちゃくちゃな値段です。
もともとお店だったので、その部分が歴史的建造物として指定された建物でした。
だから価値があると、彼らは思ったのでしょうが、そういうのは取り壊すこともできず、
勝手に改装もできず、冷静に考えればマイナスです。
ナンバー2も唖然で、この件は無事、笑い話となったのでした。
周りが見えないオーナーのおかげで、私は帰るところがなくなる危機を脱したのでした。
感謝感謝。
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