納屋? 物置? 仮屋? 取り壊し始まる
うっとうしい日やアラレの降る日、雲の多い日が続いていましたが、今日は快晴!
裏の建物の取り壊しが始まります。
この建物は、私が今座っている家を、父が建てるとき、家族5人が仮住まいするために作ったもの。鉄骨で、壁も屋根もトタン。要するに、よくある作業用の建物です。
作ったのは私が中学生の頃、今から50年近く前のことです。
もともとあった家を壊して、新しい家を建てたのですが、その間の住まいでした。
もともとあった家は父が建てた家ではありませんでした。
結婚して2か月の父母と祖父母が住んでいた家は道の向こう側にあったそうです。その家は昭和28年7月の水害できれいに流されました。
だから道のこっち側で、土地が少し高かったために流れずに残っていた家に住み始めたのです。
私はその翌年生まれました。
その家には、水害の前は父の姉一家が住んで医院をしていたそうですが、いったい誰が建てたのかその辺は聞かずに終わりました。ちょっと残念。
実はおもしろい家で、木造でしたが西洋風だったのです。外壁は板でしたが、縦ではなく、横に張ってありました。日本のはだいたい縦でしょ。
窓は外に押し開ける方式、ちょうど私がブリスベンで住んでいる家と同じで、開き過ぎを止めるための金具が斜めに伸びるのです。
でも、家の中にはかまどがあって、お風呂のたき口もその台所の小さな土間にありました。縁側はなくて、代わりに小さくて細長いベランダがついていました。
今考えるとなかなか興味深い家でした。
取り壊そうとしているのは、その立て替えのための臨時の小屋だったのですが、なんでも置いとくうちの親、そこにいろいろ詰め込んでました。昨日、作業をしてくれるかたと一緒に中を見たら、たいがいは空の発泡スチロールの箱とか段ボール箱。壊れた家電とかも。
そういうのをしまっておくために、天井近くまで背の高い棚を作ってあります。ちょうど図書館の移動式の本棚が並んでいる風景です。移動はしませんが。
わざわざ棚を作ってゴミで満たしておくばかばかしさというものが、ご本人たちつまり父と母にはわかっていなかったのです。
むなしくないですか? 空の発泡スチロールを大きな納屋にぎっしり詰めておくって。
これが狭いアパートだったらここまでひどくならなかったかもしれません。場所があるというのは危険です。
古い冷蔵庫が複数あって、その中にはかつての保存食、たとえばからからに乾燥した梅干しなどが詰め込まれています。汚いです。
何年も前のが残っていたら、保存食を作るのやめるとか、そういう頭働かないんですね。
このご時世、古い冷蔵庫がいかに処分しにくいか、親を恨んでも仕方ないですが、いやほんと、ぞっとします。
10年もっと前でしたか、私が夏にオーストラリアから訪ねてきたとき、工場だった建物の中を見たら、いくつかの箱にキウイがいっぱ入っていました。
キウイはすべて虫かなんかに食べられて、中はそっくり消えて皮だけキウイの形に残ってました。
その時は道の向こうにキウイの木が数本植えてあって、それを収穫した後、物置において半年以上そのままにしていたのです。
あれを見つけた恐怖は忘れられません。
自分の親の所業でなければもう少し平静に見て平静に笑えるのでしょうが。
私はせいぜいそういうことしないように心掛けましょう。まだ、本をためておく方がカッコいいですよね。いえ、もう、本も買いませんけど。
この小屋の中に、素直に懐かしいものがひとつありました。
それは父が作った大きな2段ベッドです。その頃はうちの家業だった製材もまだなんとかやってましたから、実際に作成したのは従業員の人だったかもしれませんが、下が空洞で、上に2段あるのです。
今流行の?ロフトベッドの「上2段版」。
一家5人どういう風に寝ていたのか、あとのスペースはたぶん畳を敷いていたんでしょうが、あんまり思い出せません。
この物置兼小屋がなくなったら、こちらから裏の畑への見晴らしがよくなります。
それだけのためにお金をかけるなんてちょっと贅沢かと思いましたが、
こちらの懐具合を考えて安く作業をしてくれる知り合いのかたに解体をお願いしたのです。
今、決断してよかったです。こんなゴミの山をあとに残して、解体の専門業者とかに頼んだら、処分の費用がものすごくかかったでしょう。
えらいえらいと自分をほめています。
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