家と家の幅、なぜ車が通れる幅があるのか?

今朝のウォーキング、古い時代から商店とか並んでいた方へ行きました。

裏通りの小高いあたりは大きな立派な家が並んでいます。レンガで作った暖炉の煙突とか、装飾のほどこされたベランダとか、なかなかいい感じ。

丘を下った一角は、小さめの家が軒を接するように並んでいます。

これが私の不思議のタネ。

小さい家で、敷地も狭いのですが、奥の方に裏庭は見えます。通りから裏庭の方へぐっと下がっていて、

家によってはすごい傾斜、奥に車を停めたら、降りるのもこわそうだし、道に出るとき車が上がれるんだろうか、などと思いながら歩いていて、

なんで、どの家も、車の幅だけ横に余地があるの?

これを示す写真がないかと無料で使ってもいい写真を探していたら、

いいものを見つけました!

これです!

うちの家の近くにもよくにた構造物があって、バス停でもなさそうだし、不思議だったんです。公園のピクニックテーブルにしちゃ、テーブルがひとつしかないです。

Woolloongabba Air Raid Shelterですって!

空襲用のシェルター! えーっ!

ということはつまり、相手は日本?!

この国はいろんな戦争に出かけていますが、本土が攻撃されたのは、第二次大戦中の北の端のダーウィンと、シドニー湾に潜水艦が潜り込んだという事件だけ。

だと思っていましたが、それだけでもなかったようです。うーん

この建造物は、1942年にブリスベン市役所が作ったんだそうです。この写真のは歴史的建造物に指定されていますが、家の近くのは、どうなんでしょう。

確かに、うちの近くのも、現存するひとつですね。

今は床と屋根しかありませんが、元々はちゃんと壁があって、70人が入れるようになっていたそうです。

ただ、日本軍はブリスベンを襲っていませんから、実際に使われたことはないでしょう。

しかし、ダーウィンの空襲では少なくとも235人が亡くなったそうです。ちょっとかすめたぐらいにしか考えていませんでしたが……

元に戻って、どうやって車の幅があるのか?

車の普及で有名なT型フォードは1908年から1927年に製造されたそうです。

あの家並みはその頃できたのでしょうが、家々が高い車を1台ずつ持っていたとは考えにくいです。

おまけにフォードはアメリカです。

まさか、将来的に車を持つことを考えて、家の横に通れるだけの幅を残した?

これも考えにくいです。

歴史愛好者の会にでももぐりこんで尋ねるしかないでしょうか?

オーストラリアの自動車産業についての記事がこちらにあります。(英語)

1901年に自動車連盟みたいなのができているようですから、人々の間に自動車のイメージはけっこう前からあったのかもしれません。

ところで、オーストラリアでは今は自動車を作っていません! 2017年の10月に最後の車ができたのが終わりのようです。

それを悲しむ記事がありました。オーストラリアは素晴らしい車を作っていた。一体どこで間違ったんだ?
(これも英語)

日本で輸入車というと、高くてかっこいいイメージですが、オーストラリアの場合は、これからは全部輸入車です!

でも、日本と違って、全部ちゃんとハンドルは右側についてます!

日本だと、ステータスシンボルとして、わざわざ左ハンドルのまま、残してますけどね。でしょ?

イギリスから輸入したら、そのメリットはないですね。

あれー!! わざわざ左にして輸入してるって?!

なぜロールス・ロイスの8割が左ハンドルか ──“見栄”より“慣れ”の現代輸入車ハンドル問題

(↑上のは日本語の記事です。)

慣れですか、私には見栄にしか思えませんが。

まあ酸っぱい葡萄ですね。

で、さらに酸っぱい葡萄ですが、そういう人のために駐車場の入り口にわざわざ左側にも機械を置いてあるのって、嫌な気がしません?

それ、オーストラリアではないです。ぜ~んぶ規則で右ハンドルにしてから輸入してますから。

痛快! 

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