生まれた時はほとんど同じ、最終時点は千差万別
朝のテレビを流しを片づけながら聞き流していました。世界最高齢の現役パイロットの紹介です。90何歳でまだ飛行機を飛ばしていて、教官でもあるという話でした。検索してみました。こちらにいい記事がありました。1922年生まれだそうです。
高齢者の交通事故が増えているので、75歳以上でしたか、もっと運転免許の取得を厳しくしようという話とか、1925年には「認知症社会」になるのだとか、はたまた、高齢者の基準を75歳に引き上げようだとか、いろいろ高齢者関係の話が社会をにぎわせています。
要するに、他に大きなニュースがないからでしょうか? 明日は我が身の私ですから、数字のあたりをしっかり聞きます。ああ、75歳ね、まだ大丈夫だわと。今のところ、認知症の検査に引っかかるとは思わないですが(検査の日にはちゃんと今日が何月何日だったか覚えて行きますもんね)。
車というのはお米と同じくらい生活必需品です。いえ、味噌・醤油と同じくらいと書き始めたのですが、味噌や醤油はなくてもすむ。お米だって、実はなくてもすむ。他に食べるものがあれば。でも、田舎に住んでいれば車がないと死んだも同然。だから、運転免許を取り上げられる前に、バスや電車のいっぱい走っている都会か、歩いていろんなところに行ける街の真ん中に住まないといけません。
ところで、老人の定義を75歳からに引き上げるという話も困ります。これに対応してシニア割引を引き上げたところが、もう既にありました! 私は時々映画館に行きますが、うれしいのが60歳から適用される(まだ変わってませんよね)シニア割引。1700円~1800円が1100円になります。わーうれしい!やっと私も老人割引!と思っているのに、これを突然、あなたは今日からもうシニアじゃありません!と言われたら、すごいショック、切符売り場の前でバタッと倒れそうです。
これ、年金もそうでしょ? 昔々就職するとき、女は55歳で退職、年金がもらえるって話じゃなかったですか? いえ、退職年齢を引き上げてくれたのはありがたいです。でも、今は、退職年齢と年金支払い開始の間にギャップがあります。
財政的な関係とか、高齢者の増えすぎとか、諸般の事情はわかりますが、やっと届いたぜと思ったら、バーが上に上がってるってひどくないですか?
オーストラリアでは数年前に定年がなくなりました。(連邦政府関係の仕事、例えば軍隊のあたりとかで、まだ定年制廃止を免除された職種はあります。)だから履歴書にも年齢の記載を求めてはいけなかったと思います。学校をいつ卒業したかは書いてあるでしょうから、大体の年齢は想像できるし、最終選考まで残って面接すれば、働ける身体の持ち主かどうかはわかります。もちろん、だからといって、60代の働ける職場があるかといったら、そんなもの非常に少ないでしょうね。オーストラリアでは若者だって仕事がないんですから。
またまたずんずんと脱線。あっちに転がりこっちに転がり、私の人生そのものです。だからおもしろいのですが、そういうのはいやだ、話も人生もまっすぐにっていう人もいるんでしょうね。
生まれた赤ん坊の時、病気や障害とともに生まれた子は別として、そのほか大多数の赤ん坊はほとんど同じ。言葉もしゃべれないし、することと言ったら飲んで出すだけ。でも、最後のあたりは、いつ最後が来るかも人によって違うし、その時およびその少し前の状態が非常に異なります。空で飛行機を飛ばして(やったことがないから難易度はわかりませんが、道のないところを立体的に行くのですから、平面的に車を走らせるより難しいでしょうね)偉いなあと思われる人もいれば、高速道路を逆走したり、歩道の人に突っ込んだりして、アホや、けしからんと思われる人もいます。
そもそも逆走する元気もなく、テレビの前でうたたね。あるいは、将来ある(?)子どもを家に、介護に縛り付けるという人も出てきます。
この最後の差に比べれば途中でどんな大学に入るとか、どんな会社に就職するとか、ちっぽけな違いにしか過ぎないのではないでしょうか?(負け犬の遠吠えですって?)
この最後の差はどこから来るのでしょう? 予備軍としてはそこが非常に気になります。あんな風になりたい!と思うだけではなれないでしょうから、もうちょっとはっきり図式的、科学的に解明してもらえませんでしょうか。その結果、予測ができるようになって、「君は逆走タイプ」と早々に判明するようになったら、いえ、それは困ります! なにとぞご内聞に。
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